MCSCC神近 義邦名誉顧問の訃報

当社社団の神近義邦名誉顧問は、2020年9月5日(78歳)に逝去いたしました。
ここに、生前のご厚誼に深く感謝するとともに謹んでお知らせいたします。

MCSCC代表理事豊崎からの弔電 (2020/9/6)

MCSCC代表理事橋本からのFacebookメッセージ (2020/9/6)

長崎オランダ村やハウステンボスの創設者・神近義邦さんが昨日逝去。台風10号が近づく中、西彼杵半島を縦断疾走して告別式に参列してきました。
ハウステンボスは、豊かな自然と文化の裏側にテクノロジーが埋め込まれた日本最初、もしかしたら世界最初のスマートシティ。神近さんはまさに「日本のスマートシティの父」でした。
私が代表理事(共同代表)を務める一般社団法人益田サイバースマートシティ創造協議会(MCSCC)の名誉顧問を快諾くださり、いつも議論を見守っておられました。
8/26、私も出ていた東京での理事会の前、オンラインでつながる理事たちのメッセンジャーでのやり取りに、病床からでしょうか、「いいね!」とだけメッセージをくださったのが最後となりました。
最期まで気にかけて下さり本当にありがとうございました。
享年78歳。ハウステンボス開業は1992年で28年前だから、そのときの神近さんは今の私とほぼ同じ年のはず。負けないよう頑張ります。心よりご冥福をお祈りします。

ところで、我々MCSCCは「益田」という地名が名称に入り、グローバルヘッドクオーターが島根県益田市にありますが、必ずしも益田のみを対象とする団体ではありません。

・益田に出発点を持ち

・日本全国の企業、団体、大学、官公庁等が参画して

・地方からサイバースマートシティを創造し

・これを益田以外の都市にも広げて日本を変えるための協議会

というものです。(「M」のロゴ画像参照)
全国7ヶ所に「キャンパス」(分室)を置いており、日々拡大中。(長崎キャンパスは今のところ我が一般社団法人出島総研内にあります。)
日本の地方スマートシティの父・神近義邦さんの「エコノミーとエコロジーの共生」「地方から変えていく」という精神を引き継ぎ、日本の未来を創造してまいります。

これまでほんとうにありがとうございました。

 

MCSCC共同代表2名から供花

神近名誉顧問の在りし日

神近義邦氏から同氏事務所で手渡しで謹呈される(2018/12/25)


~神近義邦著「ハウステンボスの挑戦」まえがきから引用 1994年1月15日第1刷発行 講談社~
(抜粋)
私たちは、今こそ地球の将来について逃げることなくその現実を直視しなければならない。
毎日の生活が限りある地球資源を消耗することによって成り立っているという事実を認めるときである。
人間が開発したテクノロジーは生産効率を上げるためにに使うのではなく、この地球を守るためにこそ生かすべきではないだろうか。
(抜粋)
ハウステンボスの提言がすべて解決するとは思っていない。
人間が乗り越えなければならないことは山ほどある。
エネルギー問題、人口問題まど背負った荷物は重い。
だが、かけがいのないこの地球を我々の子孫に残すために、今やらなければならないことがある。
その思いが私を毎日駆り立てる。
千年後、ハウステンボスの街に子供ちにの明るい笑い声が響き合うーそんな風景を思い浮かべるとき、実に充実した気持ちになる。
やはりハウステンボスは私の夢なのかもしれない。

 

・メディア報道各社(一部)

神近義邦氏が死去 ハウステンボス創業者 日本経済新聞社(2020/9/5)

ハウステンボス創業者の神近義邦氏死去 西日本新聞(2020/9/5)

ハウステンボス創業者の神近義邦氏死去 産経新聞(2020/9/5)

神近義邦さん、78歳で死去 「ハウステンボス」創業者 朝日新聞(2020/9/5)

神近義邦さん 型破りな発想と行動力 死去に敬意と悼む声 長崎新聞(2020/9/6)
【評伝】ハウステンボス創業者・神近さん 壮大な夢、観光の礎に 長崎新聞(2020/9/6)
~長崎新聞記事から抜粋引用~
「アジアにおける国際的観光拠点都市」「エコロジーとエコノミーが共存し、テクノロジーが支える未来都市」-。
神近氏は未来都市構想を練り始めた。城や運河、チューリップ畑-。
貧乏で役場勤めと農業の二足のわらじをはき、町長と対立して辞めた。
東京・永田町の名門料亭を立て直し、企業買収で成長した実業家にビジネスをたたき込まれた。
帰郷後、農地活用策として長崎バイオパークを開業。「人と自然の調和」を目指し、柵のない動物園は当時まだ珍しかった。
地中海クルーズを楽しむ最中、オランダ人乗組員から日蘭交流史を聞くうち、帆船が浮かぶ古里の大村湾を想像し“現代の出島”をつくる構想が芽生えた。
同じ大村湾に思い入れのある池田武邦氏とも出会い、長崎自動車社長の松田皜一氏(故人)の個人保証で資金を確保。17世紀最大の木造帆船プリンス・ウィレム号を復元し、オランダ村は全国区となった。
ただ交通渋滞が深刻化。
売れずに荒れた工業団地を駐車場にと県から打診されると、神近氏は未来都市構想を練り始めた。
城や運河、チューリップ畑-。未明に目が覚め、包装紙の裏に書き留めた絵を図面化し、高田知事に見せた。こうして「千年の時を刻む街」は胎動を始めた。
財界の鞍馬天狗」と称された日本興業銀行頭取の中山素平氏(故人)ら幅広い人脈を駆使。オランダの宮殿を忠実に再現した本物志向、マイケル・ジャクソンをも魅了した最先端アミューズメント、海水淡水化や生活排水の高度処理などは、神近氏の先進的な理念と類いまれな個性、突破力があってこそ為し得た。
経済至上主義を克服するという壮大な夢こそ潰えたが、本県観光の基幹産業化の土台を築いた功績は大きい。